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映画版るろうに剣心:志々雄真実の優しさ【ネタバレ注意】

映画版るろうに剣心を見てきました。漫画から映像化する監督さん及び脚本家さんにいつも思うのは何故原作から逸脱するんだろうと思う。って位、やっぱ逸脱しました。

表に見える志々雄さんの狂気とは裏腹に、優しさと無能さがバックグラウンドで働いてしまうっていうお話。

○原作との違い。

[原作編]

京都大火はおとり。その隙にぼろ船に扮した甲鉄艦で大阪港から東京に向かって
派手に明治政府へぶっ放そうかってのが目的。剣心と戦うのは座興なので、別にいいやと。
だけど、京都大火は御庭番衆や、薫、弥彦、比古の働きで放火前に抑える。甲鉄艦も左之助の活躍で撃破。志々雄は剣心以外の働きに自分の甘さを見直して剣心と京都で戦う事になる。

[映画編]

京都大火はおとり。志々雄部下は集団で京都をお経?を唱えながら警察が見えるまで練り歩き、そこから放火を行おうとする。心理的恐怖をあおっているのか?お祭りと勘違いしているのか?
その中、京都街中を宗二郎が馬で激走し薫をさらう。剣心を甲鉄艦に誘き出し、海に放り出し東京へ。も、剣心が生きていたことを知り明治政府と交渉し、剣心を政府に探してもらう事になる。

 

この2つを比較して映画編だと何故志々雄さんは無能になるのか。

○志々雄さんの無能さと優しさ

京都大火はおとりでも剣心を呼び出すってのは、此処で叩いておこうという話もありだと思う。ただ、薫を海に落とし剣心もそれを追って海に飛び込むのだが、嵐の海に落ちたから死んだと思うのは心理としてナンセンス。志々雄自身は焼打ちにあって生きているのだから。同じ人斬りなら、この状況下でも生きているって思うのが思考の流れじゃないかな。

大阪港から東京に海で向かうと大体1日掛かる。
現在では大阪港から東京へのフェリーがないから約となるけれど徳島―東京間が約1日掛かる。

運航スケジュール - 東京,徳島,北九州のフェリーならオーシャン東九フェリー


東京に来て大砲をぶっ放すが、その後剣心が生きていると聞いてから政府交渉が始まる。政府交渉は伊藤博文直々。大久保卿が暗殺されているのに、伊藤博文が「取って食いはしないだろう」と台詞。

因みに剣心は海岸にうちあがり、比古に助けられ3日は寝ていたと。それから奥義を教えてと修行。途中蒼紫と戦い、東京へ。
薫は甲鉄艦のくだりだけで東京業火と推測したのか、病院を脱走し爽やかに「行くわよ、東京へ」。


さて、東京へ徒歩で向かうと500キロ位なので15日位掛かるとか。

大阪から東京まで徒歩で行く 大学最後の思い出として大阪から東京ま... - 旅の知恵袋 - Yahoo!トラベル

志々雄は京都大火後、東京に向かい東京業火を狙っていたはずが2,3発撃って終了。
その後、剣心を探すために政府交渉して約1か月は待っていてくれたことになる。また京都で剣心を海に突き落としているのだから、原作と違って剣心をに脅威を感じることもなく待つ理由はない。とっとと政府ぶっ倒して国盗りをするってのが筋になるはず。

つまり、約1か月も何しているの?と、政府潰すんじゃないの?と。
その間、停泊している甲鉄艦の近辺で政府軍が砲弾設置準備。
気づかないのか、剣心の斬首刑まで放置している優しさ。

それが想像できないのが、監督、脚本家さん及びスタッフ、俳優陣なのです。
稚拙なミスリードタイトルだったけれど、志々雄さんの優しさじゃありません。
監督さん達の物語構成能力の低さ及びキャラの落とし込み方への勘違いが問題なのです。

○監督さんの本気と手抜き

監督さん、脚本家さんは見せたい部分を原作からピックアップして、
その中でこのシーンは要らない。でも話的には合わないからこの話を作ろう。等振るい落としをかけたのかなと。

恐らく一番見せたかったのは

・志々雄の狂気
・高速チャンバラ

高速チャンバラは既に1作目で見せていてそれがこの作品の肝なので継続。
京都大火編で原作にはなかった、警察の吊るし上げで志々雄の狂気を印象づけると。
とにかくこの映画は志々雄押し

他はどうでもというか此処だけ押さえておけばニヤッとするんじゃね?と。

・九頭龍閃

原作では伝授テスト技。映画では説明がないが、剣心の心理の紆余曲折の最後にそのシーンがある。映画では参のシーンまでかなって感じだけれど、スピード感のない映像。まだ1作目の道場破り撃破のほうが迫力ある。

・天翔龍閃

この技を出すシーンで左足にスポットしている。これは原作ファンなら一目見て、あーとなる。抜刀する時左から抜くので、左足は危険。それを顧みないから超神速の抜刀が出来る。つまり剣心の「生きたい」って気持ちが生み出した奥義なのだが、映画では技名の台詞はあるが、技に至る経緯の説明が想像すればいいんじゃねと客に全パス。

・10本刀

もはや特殊部隊ならぬコスプレ部隊。志々雄コスプレ部隊といい、国盗りを本気で狙っているのかと疑いたくなるレベル。一番の笑いどころは志々雄のコスプレ軍団。京都大火をやっぱりお祭りと思ってしまったのか。大胆不敵な志々雄が志々雄軍団を見て何とも思わないのかと思わない脚本家、監督の志々雄愛が歪んで登場。

和尚は仲間の解説役。和尚=二重の極みを語らせてもらえない屈辱。これも志々雄愛が成せる業。

・蒼紫

ストーカー。1作目で出していれば、こんな扱いにくい存在にならなかったはず。東京で左之助と対峙、フルボッコするも何も聞かず去る。
京都で剣心に負けて寝込む位の怪我。それで東京に向かって対決に間に合っているとか。

伊藤博文

この人も被害者。原作では表だって出てこない。剣心と志々雄が対決している甲鉄艦を丸ごと撃ち落とそうと図るも剣心が勝って帰ってきたので、けじめをつけなきゃと思ったのか、「抜刀歳は死んだ」とサブタイトルの意味を担う重役。

・弥彦・左之助

剣心は元々強いけれど、弥彦は10本刀を倒したり、左之助は煉獄破壊したりと、どっちかっていうと、仲間のレベルアップが出来ているってのが原作にはあるが、映画編では皆無。

 

焦点の志々雄がほぼ完璧なだけに、他のダメさ加減が浮き彫りになってしまった。こうなるなら、もう志々雄と剣心の対決1本で映画も分割しないほうが作品として昇華出来たんじゃないかなと。

 

○監督、脚本家、俳優陣の作りこみの勘違い

今回の作品は監督さん、脚本家さんの志々雄ラブが行き過ぎて、物語の時系列だったり、キャラの落とし込が出来なかったのかなぁと。

これは他の漫画→実写にも言える。少し古いけれど「いいひと」なんかも脚本家さんがキャラ設定をはき違えたおかげで作品にまで影響してしまっている。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/kaz8/comics/iihito/rumordamage/index.htm


後は、俳優さんの「自分なりに作り上げた」とか「今の時代」とかも辞めたほうがいい。その作品にはそれぞれの人の思い出があって、その思い出は美化されているから結局勝てません。例えば、タイガーマスクとか。

実写版「タイガーマスク」ビジュアル初公開!ウエンツ瑛士、渾身のアピール : 映画ニュース - 映画.com

昔、売れていた作品をその名を借りて新しい作品ですに仕立て上げるとか、自分の物語作成能力に限界が来ているので、虎の威を借りてみましたとかに聞こえる。

 

もし、作るのであれば、チープな言葉だけれどリスペクト。自分の作品ではなく、人の作品なのだからこの人ならどう考えるだろうとか、ファンならどう考えるだろうとか、考えてから作ったほうが良い。自分視線が過ぎるから、またつまらぬ作品が世にはびこってしまったになるのじゃないかなと。今なんかtwitterSNSとかあるから聞けばいいのにと思う。

 

後、最後のエンドロール、スタッフ名をだーっと流すより、地獄での志々雄を撮ったほうが少しは溜飲が下がったのに。